- 起飞
- [江湖少侠]
母に感謝
岡山県立瀬戸南高等学校 3年 谷口 早紀
私の母は、去年の秋から保険会社に勤めています。それまでは冠婚葬祭の会社に勤めていたのですが、冠婚葬祭についてある程度の知識はついたし、祖父の葬儀を自分の会社で行えたから満足だという理由で転職をしました。
保険会社での母の主な仕事は、二人一組でその日の担当地域の家を訪問し、保険を売る営業という仕事です。しかし、素人ではお客さんに保険を売ることはできないので、入社してまず最初の仕事は、保険を売る資格を取得するための勉強でした。1ヶ月後の試験に向けて、午前中は先生と勉強をして、午後からはベテランの社員さんと一緒に営業へ行き、保険の売り方などを実際に目で見て覚えます。他にもお客さんの個人情報を入力したり、保険のプランや月々いくら保険料を支払うのかなどをお客さんにわかりやすく説明するための設計書というものを作るパソコンのソフトの使い方も同時に覚えます。母の試験の日が私と弟の期末試験の日と重なっていたので、土日のテレビを観ていた時間を勉強に時間に変えて三人で頑張りました。家事の合間や寝る前の10分といった短い時間も勉強をしていたおかげで、母は見事試験に合格しました。
しかし、大変なのはこれからでした。営業へ出るとき母の鞄の中には、全ての保険のパンフレットや資料、粗品やノートパソコンも入っていて私の力では持ち上げる事もできないくらい重たいです。母はその鞄を持って、一日中家を訪問します。それだけでも体力的に厳しいのに、お客さんの家へ行っても玄関でしゃがんで話す事が多く、夏は暑くて冬は寒いので母の体力は限界でした。それだけではなく、営業の仕事はお客さんの希望を第一に考えなければならないので、一つでも多くの契約をもらうためには、夜の遅い時間でも休みの日でも、お客さんの希望する時間に家へ行かないといけないので、一日中仕事が休みという日はなくなり、プライベートな時間を取りづらくなりました。
それでも母は、家事は手をぬかずにやっていました。しかし、8時になっても母が仕事から帰ってこない事がありました。私と弟は夕方6時を過ぎると、自分の部屋で宿題をしたり趣味の時間に使っていたので、いつも夕食のできあがる8時ごろにリビングに集まるようになっていました。母を待つか、夕食になりそうな物を食べようか迷っていると、母から電話がかかってきました。「今、会社を出たとこなんだけど、お米3合炊いといてくれる?」とだけ伝えると電話は切れました。いざお米を炊こうと思ったのですが、水の量や炊飯器の使い方が分からず、弟と悪戦苦闘しながらなんとかお米を炊き終わった時、母の時間を奪っていたのは仕事だけではなく、家事だという事に気づきました。洗濯物を畳んだり、寝室に父と母のふとんを敷いたり、お風呂掃除や庭の水やりも、一度はやった事のある家事で、ひとつひとつはそこまで大変でも難しくもない事だと思いました。そこで私と弟は、少しでも母に体を休めてほしいと思い、二人で家事を分担する事に決めました。
初めはなかなか上手くできず、母がやると数分ですむ事も私達がやると30分以上かかったり、アイロンがけも1枚のシャツに20分もかかり、それでも目立つシワが残るくらい難しかったです。どれだけ失敗していても上手くできていなくて、母は家に帰ってくると「ありがとう。」と言ってくれました。初めのうちは、慣れない事をしているから言ってくれてると思っていたのですが、数ヶ月たっても母は私達に「ありがとう。」と言い続けてくれました。私は今まで、子供は勉強する事が仕事と言われるように、母は家事をする事が仕事だと思い込み、頼りすぎていた事に気づきました。母は一日中家族のために働いてくれているし、毎日朝食と弁当と夕食を作ってくれるだけで、充分家事をしてくれていると思いました。
それからは、母が食事を作ってくれたらありがとうと言ったり、どんな小さな事でも自分や家族のために何かしてくれたらありがとうと言うようになりました。それは母に対してだけではなく、父や弟、祖父や祖母に対しても同じです。この習慣がつき始めて数ヶ月後、母は会社で成績の良かった新人社員に送られる新人賞をもらいました。母は家に帰ってくると、嬉しそうに賞状を見せてくれた後、「こんな賞がもらえたのは、二人が家の事やってくれたからじゃわ。いつもありがとう。」と、私と弟に言ってくれました。
私はこれからも家事をしていこうと思うし、家族のために働いてくれている母に「ありがとう。」という感謝の言葉を送り続けたいと思います。
请参考!
岡山県立瀬戸南高等学校 3年 谷口 早紀
私の母は、去年の秋から保険会社に勤めています。それまでは冠婚葬祭の会社に勤めていたのですが、冠婚葬祭についてある程度の知識はついたし、祖父の葬儀を自分の会社で行えたから満足だという理由で転職をしました。
保険会社での母の主な仕事は、二人一組でその日の担当地域の家を訪問し、保険を売る営業という仕事です。しかし、素人ではお客さんに保険を売ることはできないので、入社してまず最初の仕事は、保険を売る資格を取得するための勉強でした。1ヶ月後の試験に向けて、午前中は先生と勉強をして、午後からはベテランの社員さんと一緒に営業へ行き、保険の売り方などを実際に目で見て覚えます。他にもお客さんの個人情報を入力したり、保険のプランや月々いくら保険料を支払うのかなどをお客さんにわかりやすく説明するための設計書というものを作るパソコンのソフトの使い方も同時に覚えます。母の試験の日が私と弟の期末試験の日と重なっていたので、土日のテレビを観ていた時間を勉強に時間に変えて三人で頑張りました。家事の合間や寝る前の10分といった短い時間も勉強をしていたおかげで、母は見事試験に合格しました。
しかし、大変なのはこれからでした。営業へ出るとき母の鞄の中には、全ての保険のパンフレットや資料、粗品やノートパソコンも入っていて私の力では持ち上げる事もできないくらい重たいです。母はその鞄を持って、一日中家を訪問します。それだけでも体力的に厳しいのに、お客さんの家へ行っても玄関でしゃがんで話す事が多く、夏は暑くて冬は寒いので母の体力は限界でした。それだけではなく、営業の仕事はお客さんの希望を第一に考えなければならないので、一つでも多くの契約をもらうためには、夜の遅い時間でも休みの日でも、お客さんの希望する時間に家へ行かないといけないので、一日中仕事が休みという日はなくなり、プライベートな時間を取りづらくなりました。
それでも母は、家事は手をぬかずにやっていました。しかし、8時になっても母が仕事から帰ってこない事がありました。私と弟は夕方6時を過ぎると、自分の部屋で宿題をしたり趣味の時間に使っていたので、いつも夕食のできあがる8時ごろにリビングに集まるようになっていました。母を待つか、夕食になりそうな物を食べようか迷っていると、母から電話がかかってきました。「今、会社を出たとこなんだけど、お米3合炊いといてくれる?」とだけ伝えると電話は切れました。いざお米を炊こうと思ったのですが、水の量や炊飯器の使い方が分からず、弟と悪戦苦闘しながらなんとかお米を炊き終わった時、母の時間を奪っていたのは仕事だけではなく、家事だという事に気づきました。洗濯物を畳んだり、寝室に父と母のふとんを敷いたり、お風呂掃除や庭の水やりも、一度はやった事のある家事で、ひとつひとつはそこまで大変でも難しくもない事だと思いました。そこで私と弟は、少しでも母に体を休めてほしいと思い、二人で家事を分担する事に決めました。
初めはなかなか上手くできず、母がやると数分ですむ事も私達がやると30分以上かかったり、アイロンがけも1枚のシャツに20分もかかり、それでも目立つシワが残るくらい難しかったです。どれだけ失敗していても上手くできていなくて、母は家に帰ってくると「ありがとう。」と言ってくれました。初めのうちは、慣れない事をしているから言ってくれてると思っていたのですが、数ヶ月たっても母は私達に「ありがとう。」と言い続けてくれました。私は今まで、子供は勉強する事が仕事と言われるように、母は家事をする事が仕事だと思い込み、頼りすぎていた事に気づきました。母は一日中家族のために働いてくれているし、毎日朝食と弁当と夕食を作ってくれるだけで、充分家事をしてくれていると思いました。
それからは、母が食事を作ってくれたらありがとうと言ったり、どんな小さな事でも自分や家族のために何かしてくれたらありがとうと言うようになりました。それは母に対してだけではなく、父や弟、祖父や祖母に対しても同じです。この習慣がつき始めて数ヶ月後、母は会社で成績の良かった新人社員に送られる新人賞をもらいました。母は家に帰ってくると、嬉しそうに賞状を見せてくれた後、「こんな賞がもらえたのは、二人が家の事やってくれたからじゃわ。いつもありがとう。」と、私と弟に言ってくれました。
私はこれからも家事をしていこうと思うし、家族のために働いてくれている母に「ありがとう。」という感謝の言葉を送り続けたいと思います。
请参考!
回答:2009-4-1 19:42:03
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