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回答数:1 浏览:959 提问时间:2009-2-4 21:59:59 10
僕の子供のころは、買い物をするにも、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやり取りをする要領が大事なことだった。同じものを買うにしても、要領が悪くドジだと、高い値段で買わされてしまう。普段からの付き合いだって、買い物の時になって、ものをいうのだった。
我小时侯买东西都是议价的居多,于是和店里的工作人员搞好关系,这就是买东西的关键所在了.即使是买同样的东西,关系没搞好,就会买到高价物品,日常的交往,在买东西的时候,就会成为有价值的东西(こんな翻訳にしても正しい?)
これは、ある意味で、不平等なことであった、同じものを買うのに、相手次第で値段が変わる。ドジだと、損になる。
如此这样,某种意义上说,就是不平等了,虽然是买同样的东西,可以价格却是因人而异,如果关系处理不好,就会吃亏.
いまでは、定価が決まっている。平等に、誰でも同じ値段で、買い物ができる。しかし、ときにはそれが、ちょっと味気ない気がしないでもない。なによりも、要領を身につけようと、努力することがなくなった。店の人と関係をとり結ぼうと、ふだんから心がけることがなくなった。平等なかわり、冷たい関係になってしまった。
如今,都是明码实价,谁都能以同样的价格买到东西,很平等.可是,有时却会感觉到有些失落.不管怎么说,不需要特意和店里的工作人员套近乎搞关系了.迎来了平等,但是关系却很冷淡.
何度かドジをして、だんだんと要領を覚えていくものでもあった。その意味では、店の人というのは、要領の先生であった。(中略)
失败过几次,渐渐记起来了要领,也就是说,店里的工作人员就是要领的老师了
値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意思を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意思で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。
买方也要介入定价,并不只是任人定好价格之后,决定买与不买,因为参与了定价,即使是很高的价位,那也是买方的责任.也是说按自己的意思,自己的责任对价格进行判断.
このことの逆として、自分の判断し、自分で責任を取る機会は、平等や公正の名のもとに、だんだんすくなくなってきているのではないだろうか。さらにそれが学校などで、共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から遠くなっているような気がする。
可是与此相反,在平等公平的名义下,自己判断,自己负责的机会越来越少,特别是,学校之类的,因为是群体购物,机会更加离我们远去.
どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、と僕は考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。
不管社会发展到如何平等公正,我想最终能维护自己的还是自己判断和责任,于是不平等不公正以前的购物行为也好象是都判断,责任进行了训练.
ふだんから関係に気をくばり、要領よく振舞うのは、ずるいこととされている。それでは、平等で公正にならない。
平日留意人际关系,套近乎拉关系,这些行为很圆滑,而且不公平不平等.
にもかかわらず、不平等や不公正のなかで要領よくたちまわるずるさ、そのことの意味を、もう一度、考え直してみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。
尽管如此,我们再一次重新思考一下,在不平等不公正的情况下,掌握好要领的意义.否定要领的制度,其实就是不相信人际关系,平等被强制执行.
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僕の子供のころは、買い物をするにも、定価の決まっていない買い物が多かった。それで、店の人とうまくなじみになって、買い物のやり取りをする要領が大事なことだった。同じものを買うにしても、要領が悪くドジだと、高い値段で買わされてしまう。普段からの付き合いだって、買い物の時になって、ものをいうのだった。
即使是在我小的时候,买回的商品大多也都是砍价后买回来的。能砍价的关键在于巧妙地在交易中和店里的人混熟。买同样的东西,如果不得要领就会被商家所宰,虽说是平时的往来,在购物时运用上也会发挥很好的作用。これは、ある意味で、不平等なことであった、同じものを買うのに、相手次第で値段が変わる。ドジだと、損になる。
买同样的商品花不同的价钱,某种意义上说,就是不平等。购物因人而异,关系处理不好,就会吃亏。
いまでは、定価が決まっている。平等に、誰でも同じ値段で、買い物ができる。しかし、ときにはそれが、ちょっと味気ない気がしないでもない。なによりも、要領を身につけようと、努力することがなくなった。店の人と関係をとり結ぼうと、ふだんから心がけることがなくなった。平等なかわり、冷たい関係になってしまった。
如今,都是明码实价,谁都能以相同的价格买到同样的商品,公平购物.可是,有时却会感觉到有些失落.不管怎么说,不需要特意和店里的工作人员套近乎搞关系了.换来了平等,但是关系却变得冷淡冰冰的。
何度かドジをして、だんだんと要領を覚えていくものでもあった。その意味では、店の人というのは、要領の先生であった。(中略)
失败过几次,渐渐地找到了诀窍,也就是说,店里的服务人员就是学诀窍的师傅了。
値段の交渉をするということは、買い手のほうでも、その値段へ意思を介入することであった。与えられた定価のもとでの、買うか買わないかだけの判断ではない。そして交渉に参加したからには、たとえそれが高い値段であったとしても、それは買い手の責任に属する。つまり、自分の意思で、自分の責任で、値段を判断する余地が残っていたのだ。
价格的商议,买方也要参与定价,并不是定好价格之后只是决定买与不买。因为参与了定价,即使是很高的价位,那也是买方按自己的意思,自己的责任对价格进行了判断.。このことの逆として、自分の判断し、自分で責任を取る機会は、平等や公正の名のもとに、だんだんすくなくなってきているのではないだろうか。さらにそれが学校などで、共同で買い物をしたりするものだから、ますます自分から遠くなっているような気がする。
可是与此相反,在平等公平的名义下,自己判断,自己负责的机会越来越少,特别是,学校之类的团体购物,那种感觉更加离自己远去。
どんなに平等や公正を保証された社会になっても、終局的に自分を守るのは、自分の判断と自分の責任だ、と僕は考えている。そして、不平等で不公正だった昔の買い物は、その判断や責任を訓練していたような気もするのだ。
不管社会发展到怎样的平等公正,我想最终能维护自己的还是自我的判断和责任义务,而且以前的不平等不公正购物行为也是培养了自我的判断能力及责任义务吧!
ふだんから関係に気をくばり、要領よく振舞うのは、ずるいこととされている。それでは、平等で公正にならない。
平日留意人际关系,套近乎拉关系,可以说圆滑处世,但是那谈不上平等公正!
にもかかわらず、不平等や不公正のなかで要領よくたちまわるずるさ、そのことの意味を、もう一度、考え直してみてもよいのではないだろうか。要領を否定した制度は、人間の関係を信頼しないことで、平等が強制されているような気もするのだ。
尽管如此,我们再一次重新思考一下,不平等不公正、善于圆滑处世的社会,否定掌握好要领的意义,否定要领的制度,其实就是不相信人际关系,强制执行平等!.
回答:2009-2-5 9:52:19
星级评价:☆☆☆  どうも、ありがとうございます
お疲れ様でした。
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